今をコツコツ在ることが、生きる、いや生かされている自分なのです。
あるがままの自分が「今、丁寧に、在る」。
そのままの自分を、そのままの自分が「知り得た」時、
これが求めていた答えだと納得しました。
有難く存じます。すべてのご縁に感謝を致します。
2008.11.15 Saturday
○昔々。いつも冷静で淡々とスマートな生き方をしたくて、感情を表に出すことは恥ず
かしいことだと思い込んでいました。
喜怒哀楽の素晴らしく豊かな母親と過ごしながら、幼心に、大人としての生き方を、自
分に課していたんだと思います。
20歳くらいまでの記憶は、トラウマで未だにほとんど出ませんが、3歳ごろから小学校を
卒業するまでは、毎日、学校と習い事を分刻みでこなしていました。
ロボットのような感覚だったと思いますが、確実に、私の感性は育っていました。閉じ
込めた心の中では、豊かに大らかに感性が伸びていました。
私の体が戦場であり、点の私たちが内乱し、闘い続けてきたのでしょう。ほんの少し窓
を開けて、社会という扉から、外へ一歩踏み出した時に、点の私たちは内乱を続けなが
ら、新風との闘いも始まったんですね。
この外への一歩。これが、内乱を沈め、点である自分たちが手を繋ぎ平和を誓い、社会
という新風との葛藤に備えて、自分という城の基礎工事を始めました。外堀にも力を入
れました。
自分という未知の城を築き上げるまで、死も覚悟しました。やがて・・・すべてが分る
日を迎えました。
内乱を続けながら、新風との闘いも始まった時が、回復への第一歩です。
そして、「自分が自然に返った」という感覚を自分の中に取り入れた時が、ゴールであ
り、スタートでした。
いつも時間が味方でした。そして、いつも自分が傍にいました。
今日も、ゆっくりでいいんですね。ゆっくりがいいんですよ。
○NPO法人心ざわざわ
http://kokorozawazawa.org/
かしいことだと思い込んでいました。
喜怒哀楽の素晴らしく豊かな母親と過ごしながら、幼心に、大人としての生き方を、自
分に課していたんだと思います。
20歳くらいまでの記憶は、トラウマで未だにほとんど出ませんが、3歳ごろから小学校を
卒業するまでは、毎日、学校と習い事を分刻みでこなしていました。
ロボットのような感覚だったと思いますが、確実に、私の感性は育っていました。閉じ
込めた心の中では、豊かに大らかに感性が伸びていました。
私の体が戦場であり、点の私たちが内乱し、闘い続けてきたのでしょう。ほんの少し窓
を開けて、社会という扉から、外へ一歩踏み出した時に、点の私たちは内乱を続けなが
ら、新風との闘いも始まったんですね。
この外への一歩。これが、内乱を沈め、点である自分たちが手を繋ぎ平和を誓い、社会
という新風との葛藤に備えて、自分という城の基礎工事を始めました。外堀にも力を入
れました。
自分という未知の城を築き上げるまで、死も覚悟しました。やがて・・・すべてが分る
日を迎えました。
内乱を続けながら、新風との闘いも始まった時が、回復への第一歩です。
そして、「自分が自然に返った」という感覚を自分の中に取り入れた時が、ゴールであ
り、スタートでした。
いつも時間が味方でした。そして、いつも自分が傍にいました。
今日も、ゆっくりでいいんですね。ゆっくりがいいんですよ。
○NPO法人心ざわざわ
http://kokorozawazawa.org/
PR
プロフィール
HN:
岡本理香
年齢:
60
HP:
性別:
女性
誕生日:
1963/07/29
職業:
精神作家・正看護師
趣味:
整理整頓
自己紹介:
岡本理香
精神作家&看護師&心ざわざわ理事長
1963.7.29生、AB型
大阪出身、現在神戸六甲山に在住、有馬温泉傍
整理整頓・ジクソーパズル・捨てることが特技
田原俊彦さんのライブ鑑賞が生きがい
向日葵・マリリンモンロー・真っ赤が好き
高嶺の花を羨むより、足元の豆を拾えが口癖
精神作家&看護師&心ざわざわ理事長
1963.7.29生、AB型
大阪出身、現在神戸六甲山に在住、有馬温泉傍
整理整頓・ジクソーパズル・捨てることが特技
田原俊彦さんのライブ鑑賞が生きがい
向日葵・マリリンモンロー・真っ赤が好き
高嶺の花を羨むより、足元の豆を拾えが口癖
著書