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今をコツコツ在ることが、生きる、いや生かされている自分なのです。 あるがままの自分が「今、丁寧に、在る」。 そのままの自分を、そのままの自分が「知り得た」時、 これが求めていた答えだと納得しました。 有難く存じます。すべてのご縁に感謝を致します。
2024.03.30 Saturday
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2007.06.20 Wednesday
■1か月半継続しての感想「私ってけっこういいところあるんだな~」と思えたことが、大きな収穫ですね。今まで、ダメなところ、できないところ、そういう面しか見ることが出来なかったので、自己肯定感が、前より持てるようになったと感じます。正直、続けることに何の苦痛もありませんでした。今まで、日記も家計簿も、いつも三日坊主でしたが、理香さんから、毎日、温かいメッセージをいただけていたからだと思います。長所を見つけるのが大変になりつつありますが、もう少し続けさせていただきます。自分のために、同じ悩みを抱えているたくさんの方のために。
■メール日記を4ヶ月間継続している!飽きっぽい私にしては、すごいことです。 本日は夜勤です。学校が休みなので、のんびり過ごしました。久しぶりに台所に立ち、「野菜たっぷりおじや」を作りました。おいしかったです! こんな風に、のんびり、ダラダラ過ごすことに慣れていない自分がいます。どうしても、責めてしまいそうになるんです。「こういう時に、普段できないことをするんだよ!」と、お尻をたたきそうになる自分がいます。 でも、出来ないんです。今は・・・。もう昔のようにがむしゃらになれないんです。自分を大切にしたいです。 とろくても、へなちょこでも、前を向いて歩いている自分・・・。大切に大切に育てていきたいんです。確かに行動は必要です。考えているだけでは、何も変わりません。でも、内側の自分の声をちゃんと聞きながら、行動していきたいです。その声を無視して、がんばろうとしたから、どうにもならなくなってしまったんですものね。ここらへん、微妙です。正当化して、現実逃避をしている状態と紙一重なので。でも、結果はちゃんと表れます。 単に現実逃避をしている時は、心は楽になっていません。言い訳ばかりですし。自分を責めちゃっているし。 背伸びをしないで、ダメなままでも歩いていく・・・それが出来ている時は、心が軽いです。自分の心はごまかせないですね。
■今日、アジの干物をきれいにいただいた後、褒められました!そういえば、いつも褒められます。単に、食い意地がはっているだけと自分では思っていましたけれど(笑)。確かに、「食い散らかしている」って感じではなく、美しいです!今日は仕事がお休みでした。平日の休みは、学校があるので、遠出はできませんが、午前と夜の仕事がないので、のんびりできます。今日は午前中は人と会っていました。午後は学校でした。授業が、どんどん専門的、実践的な内容になってきて、今までの付け焼刃が全く通用しなくなってきました。その場しのぎで、どうにかテストを乗り切っていただけで、全く身についていませんでした。ま、それを責めても仕方がありません。ここまで、投げ出さずに続けてきたことは素晴らしいのですから。私自身の成長ということだけでいえば、よくぞ、ここまでやってきたね!と褒められますが、客観的に、正看護師を志す者としては、あまりにも、甘すぎました。とにかく、そのことは、きちんと認めて、受け止めます。でも、だからといって、自分を蔑むことはしません。人との競争ではなく、どんなにスローペースでもいいから、最後まで、やり遂げたいです。ただ、しかめ面をして、苦しみながらやるのはイヤなので、明るく、笑いながら、やっていきたいです。プライドの高さが、自分の成長を妨げていました。こんなかっこ悪い自分を見るのもイヤだし、ましてや人に見られるのもイヤ・・・といって、やめてしまうのが、今までの生き方でした。その真逆を、やっていきます。力を抜いて、楽しみながら。 夕方から、久しぶりにおじさん夫婦宅へ行きました。おばさんの愛情こもった、ちらしずし、おいしかったです。お土産に持っていったロールケーキも、3人で、一本をたいらげました(笑)。おしゃべりしながら、ゆっくり味わって、食べることができました。昔は、帰る途中に、「ペースが乱れちゃったから、もうどうでもいいや!」と自暴自棄になり、コンビニ過食をしたことも多かったです。でも、今夜はそういう気持ちがわきませんでした。ただ、おじさん、おばさんに感謝でした。引きこもり生活を抜け出してから、世界が広がり、対人関係もグンと増えました。毎日のニュースも増えました。この1日1日の体験を積み重ねることが自信へとつながっていくのでしょうね。今日も全てに感謝です。
■よく動く。看護の世界というのは、とっても閉鎖的で、古い体質が残っている一面があります。序列なども、すごいシビアです。ま、私は下っ端で、ノホホ~ンとやっているので、あまり感じませんけれど。でも、この「大奥」みたいな病棟で、お局様のような、大ベテランのナースの眼は厳しいです。その先輩ナースから、「あなたは、よく動くわね」って言われました。今日も1日、仕事でした。いろいろありますが、こうやって、毎日元気に働けることに感謝です。このメール日記を始めてから、感謝が増えましたね。「いいところ探し」の継続の成果はすごいですよ。だって、今までは、自分の嫌いなところ、ダメなところ・・・そういった方向だけに意識が向いていて、そのことを嘆いたり、悲しんだりしていたんですよね。180度の転換です。正直、長所のネタを探すの、けっこう大変なんです(笑)。で、1日かけて、見つけ出すわけですが、それって、自分の良いところ、好きなところに意識を向けているんですよね。ずーっと。そうすると、魂が喜ぶんでしょうね。きっと。いろんなことに感謝できるようになりました。「感謝できることに感謝」です。
■童心に帰ることができる。今日は、遠足があり、遊園地に行ってきました!思い切り遊んできましたよ~。今日はGWに入り、初めての休日でした。しかし、学校行事で、遠足でした。修学旅行や運動会もあるのです。この年齢で遠足?って感じで、本当は休みたかったです。しかし、休んだところで、待っているのは、膨大なレポート提出。それならば、参加しちゃった方がいいよなと、渋々行ってきました。ところが、アトラクション乗り放題のチケットを渡された途端、すっかり童心に帰り、思い切り楽しんじゃいました(笑)。久しぶりに「ループ・スクリューコースター」に乗りました!絶叫しましたよ~。で、すっきり爽快です。ランチもレストランで、おしゃべりしながら、おいしくいただくことができました。とにかく、昔できなかったことを、今、1つ1つ、体験できていることに感謝です。ホントに青春真っ只中ですね!

日々のコツコツ。理香さんにお会い出来てから、生活の中に、色んな工夫を取り入れるようになった自分がいます。 理香さんから頂ける言葉やサイトでの大切な言葉を、大きめの字でノートに書き留めて、赤線や波線を引いたりして、いつでも目に入るように、壁に立てて置いていたり、 「今を生きる」と大きく書いて机に置いていたりもしています。 自分の心に響くような、大切な言葉が、ひと言ひと言書かれてある本のページを毎日1ページ1ページ、日めくりのように、クリップで止めながら、壁に立てて読んでいたり、「幸せノート」を作って、素敵な言葉をたくさん書き留めるようにしていたり、スケジュール帳も、大切な言葉を書き留めているので、字でいっぱいになっていたり、 まるで受験生が墨で「合格!」「必勝!」とか書いて、あちこちに貼っているような感じなのですが、そうやって、大切ないい言葉にたくさん囲まれながら生活すると、毎日繰り返し繰り返し、語りかけてくれるように、 そのたくさんの言葉達が支えになってくれて、言葉が自分をそこへ連れて行ってくれるような、心地よい空間になって、自分自身も心地よい自分になってきています。 スケジュール帳の最後の日記の欄に、毎日自分に語るように言葉を書いているのですが、 「ゆっくり。ゆっくりいこうね。そのまんまで。そのまんま。自然体が素晴らしいよ」 と理香さんが言って下さった言葉を、自分に語りかけるように、よく書いています。自分とゆっくり話す日記を書き続けていますが、 小さいコツコツの積み重ねが自信になっています。 ゆっくり、ゆっくり。深呼吸しながら。そのまんまの自分で。体得です。
■昨日夜11時頃に布団に入ると、すぐに眠たくなって、前のように寝付きにくいこともなく、朝までぐっすり寝ることができました。今のところ安定していて、しっかり自分のペースで1歩1歩、歩いていこうとする大人の自分が、まだ癖が残っているもう1人の子供の自分にブワ~っと走り出しそうになったら、手を引いたり・・色んな声をかけながら、二人三脚みたいにゆっくり歩いているような感じです。ホッとしているような、肩の力を抜いていい感じで落ち着いている自分がいます。まだ色んな癖は残っていますが、自分の目で見ようとする自分が出てきていて、人を通して見ようとする自分が出てきてるな。と思ったら、「私は自分の目で見る。」とか、私は私なんや。とか、心で強く思うようにしています。理香さんに面談の時に頂いた冊子を、少しずつ読み進めているのですが、面談の時に話して下さったことと、冊子を読むことで、授業みたいな感じでより自分の中にしっかり入っていくようです。食べることに関しても、面談の時に食事をしたことが、自分にとってとても意味があって影響された良かったことで、理香さんの食生活というか、それを聞くだけでなくて、実際に自分の目で見たことで、自分の好きなものを食べていいんや。。自分に合ったものを食べてもいいんや。。何でもいいんや。。何でもありなんや☆って思えて、モヤモヤした思いから解放されました。自分の好きなもの、自分にあったものを食べていいとわかっていても、自分の中に何かがあって・・(あぁそうか、人に合わせようとするもう1人の自分なんですね。。)でもそれが、一緒に食事をさせてもらったことで、「自分」というのがグイっと先頭きって、主に出てきたような、何ていうのか、誰が何と言おうが、自分の好きなもの、今食べたいものを食べようと思えたりしています。食事のことだけでなくて、他のことに関しても、しっかり「自分」を主にしていけるようになっていきたいです。色んなことに気づかせて下さる理香さんに感謝です。気づくたびに感動です。
■自分の中で思っているだけでなくて、こうして毎日書いくことで気づけることがいろいろあります。メールを出せること、読んで下さることに感謝です。私も、サイトで紹介されている皆さんの言葉を読んでいると、山あり谷ありながら、ひとりひとりが、それぞれ色んな思いで考え、工夫しながら、自分の道を自分で作って、一歩一歩進んでいこうとする姿を見て、また、それを素直に表現して言葉にのせてくださっていることに、励まされたり、気づかせてもらえたりで、皆さんにも支えられています。たくさんの人それぞれの大切な言葉、載せて下さってありがとうございます。
昨日は祖母のところへ行った帰りにホームセンターへ寄ったのですが、そのホームセンターで、高校の時の友達に声をかけられたんです。今まで人と接することを避けていて、これから外に向かって踏み出していこうとしはじめたばかりの自分にとって、さっそくの試練のようで、少し動揺で、ハッとした自分がいたのですが、はじめは動揺しながらも、久しぶりやなぁ・・と会話が進んでいきました。いつも過食のことを言うか言わないかで迷っている自分がいるんですが、昨日は、色々な話になってくると、話したほうが楽になるような感じだったので、こうこうこうやって。。ってそのままを少し話ました。今の自分を作ることなくもぅそのまんま話していると、だんだん落ち着いてきました。今までだったら、「今はもぅ大丈夫で・・」みたいな、何の不安もないように話してる自分がいたけど、昨日は、「まだこれからやけど・・」みたいに、今の気持ちをそのまま話している自分がいました。そしたらその友達も、悩んだりしていたこととかいろいろ話てくれました。
しばらく話していたのですが、その間、自分が普段話す、そのままのトーンとペースで話せていて、落ち着いた、心地よい感じで話せている自分がいました。 自分のトーンとペースで話せる心地よさ。人それぞれ自分が持っている自分の楽譜があるんや・・と思いました。人に合わせて人の楽譜を弾くのではなくて、自分が書き込んだ自分の楽譜で、自分が作る大好きな音楽を弾くのが何より心地よい。これからも気づいた色んなことを、自分の楽譜に書き込んで、自分の音楽を作って大事にしていきたなと思いました。父は父、母は母、人は人。人それぞれの楽譜があって、みんな違った音楽があるから素敵でいいんですね。昨日は知ってる人に会って、自分の感情がどう動くか、人と接することでしか気づけない自分の心の動きを再確認できたりで、目の前にあらわれてくれた友達に感謝です。
また会おという話になったのですが、今までだったらそう言われると、まだ会うかどうかもわからない先のことを考えて、家に帰っても引きずって、誘われてもないのに、「誘われたら何て言お・・」とか考えてしまっていましたが、いつ会うかどうかも決まってない、先のことを考えるのはもうやめました。(これも「捨てる」ということかな?)その時はその時になってみないとわからない。その時会いたい気持ちだったら行けばいいし、会いたくなければ会わなければいい。まだおとずれていない先の気持ちはわからない。今日のことはそれで終わり。今日一日この機会にありがとうなんですね。家に帰ってからも、先のことを考える癖のある自分と、今を大事に生きようとする自分との間で、まだ色んな対話をしながらの状態で、あたふたするところもありますが、癖のある自分に、優しく分かるように教え続けていきたいです。
■同じようなことがもうひとつあって、昨日の夕食のことなのですが、から揚げが食べたくなって、太る太らへんよりも、自分の気持ちに素直に、夕食はから揚げにして、お腹いっぱいになったんです。いつもだったら、「お腹いっぱいだから、明日はちょっと少なめに・・」という思いが出てきて、先のこと先のこと考えてしまって、それを考えると焦ったり、嫌な思いにとらわれてしまいがちでした。昨日もふとそういう思いが頭をよぎりましたが、「明日もお腹いっぱいかどうかなんて、明日になってみないとわからない。もしかしてお腹空いてるかもしれないし、その時、お腹いっぱいやったら少し控えたらいいんや。今日考えてもわからへんことを考えるのはもぅやめよう。とにかく今日は、お腹いっぱい。今日一日満腹だ。ありがとう。」ゆっくり。ゆっくり。一日の積み重ね。大事にしていきたいです。
■毎日頂けるお返事のひと言ひと言を、じっくり読む度に、毎日読むことで、その日、その日、前にポワっと明かりを照らしてもらっているようで、自分がしっかりしていくような感じがします。私が蟻”だとすると、完治までの道のりに、理香さんが1日1日、私の少し前に、砂糖菓子をポン・・ポン・・と置いてくれているような・・そんな感じがします^ありがとうございます。
■昨日は夜の11頃に、お腹にガスが溜まっていたのか胃が痛いのかで、痛いなぁ・・嫌やなぁ・・と、ドヨ-ンとした気持ちに包まれました。今までも、お腹に不快感を感じたり腰が痛かったりする時に、過食したい気持ちが襲ってきたり、その時間帯で過食したい気持ちになることも多くて、昨日も食べたい気持ちがフッと出てきました。フッと過食したい思いが出てくると、またその思いが膨らんできて、どうしても過食したくなったら、スーパーまで買いに行く目標を思い出したりしながら、自分の中で、昔の『癖のある子供な自分 ( ̄∀ ̄)Ψ』と、今の『成長していく大人の自分 (*´.д.)』とのやりとりが始まりました。
(*´.д.) 「今この時間でどこのスーパーまで・・寒いしなぁ。。遠いし。今から化粧はめんどうやし・・素材買って今から作るのもしんどいなぁ・・なんとかしよう・・」
( ̄∀ ̄)Ψ「エエやん、ちょっと冷蔵庫開けたら残りもんとか何かあるでェ~・・ちょっとぐらいエエやん、どうしてもあかんかったらコンビニでも・・」
(*´.д.) 「いやいや、そのちょっとぐらいが、くせ者や。きっと今過食したらまた同じこと繰り返す。コンビニ。。それはホンマにどうしてもの最悪の時だけや。ここを乗り越えたら、また何か変われるかもしれへん・・ちょっと考えよう。。」
5分ぐらいそんなやりとりが続いた後、私は今、どういう状態か自分に問いかけました。
(*´.д.) 「今ホンマに食べたいんかなぁ・・?何で食べたい?」
( ̄∀ ̄)Ψ「お腹か何か気持ち悪いから・・」
今までお腹が痛いとか、体の不快感が出ると過食してたから、「お腹痛い=自分は過食したい。」ってなっていたけど、「私は今過食したい。」じゃなくて「私は今お腹が痛いんや。」 (*´.д.) 「お腹痛かったらどうしたらいい・・?」
( ̄∀ ̄)Ψ「寝たらエエねん。」
そしたら。。(*.∀.)人( ̄∀ ̄) 「寝よぅ~,。.:*:.゜☆ 」
最後に2人の意見が一致して、その後ぐっすり寝られて、今朝も気持ちよく起きられました。理香さんが言って下さった、色んなことを思い出しながらやりとりしていたので、2人の自分との間を取り持ってくださった感じです。今、この2人の自分のやりとりで大変だけど、ゆっくり。ゆっくり。ぼちぼちです。昨日の夜は、2人の自分が仲良く乗り越えられた日でした。
■今日もいいお天気で、今朝も気持ちよく起きました。「自然にこのお二人が一体化する日がやってきますよ」その日がくると思うと嬉しいです。その2人の自分が一体化する日。。なんとなく、どんな感じかなぁ・・と想像してみると、理香さんが言ってくださった「守りの枠」の殻をバリ~ン!と砕いて、中から「しっかり価値観を持った自分」がピッカ~☆と生まれてくる日のような気がして、自然と笑顔が出ました。自由で晴れ晴れとした、心地良さそうな・・まさに「春が来たぞ~」な感じのようで、今までに経験したことのない心地のよい感じのような気がします。そのためにも今、芽を出す準備のこの冬の時を大切に味わいながら、自分と仲良く2人三脚で、時には転びながらでも、またコツをつかみながらゆっくり呼吸を合わせて、歩いていきたいです。
■昨日母に会った時に、私が1日でも働くことを考えはじめていることで、「春になって温かくなってからでもいいやん・・まだなぁ。もぅちょっと・・」みたいなことを言われたのですが、いつもだったら、母の考えを聞いてしまったり、自分の思いを押し付けてしまったりしていたけど、理香さんから頂いた冊子に、人間の本能のような、母子分離、葛藤のこと・・「だから人間って素晴らしいんですね。」って書いて下さっていたのを読んでから、人間てほんとにすごいんだな・・と深く感動していたところだったので、今までだったら母の言葉に対して、腹を立てたり、自分の考えを押し付けたりしてしまっていたことが、昨日は自分の中で、『母も母でわかっているけど言ってしまう・・母の中でも葛藤があって・・これも人間の素晴らしい本能なんだな・・』と、一歩さがって、人間として見ることができて、自分の中で嬉しい気持ちがありました。その時自分の中で、母は母なんやと無理して思わないといけないような葛藤がなく、自分の考えを押し付けるようなこともなく、言われた言葉の内容ではなくて、その行為に対して『これも人間の素晴らしいところでもあるんや~』となんか心が温まるような、穏やかな感じで「私は私」「母は母」と自然に思えた日でした。理香さんのおかげで、視野を広げて見ることの素晴らしさ、心地よさを感じることができました。これも体得の素晴らしさなんですね。嬉しいです。
■こんにちは。お返事ありがとうございます。一歩一歩、歩くように毎日メールを出すことで、その度に頂ける理香さんの1日1日のお返事が、声をかけながら、伴走してくださっているように感じられて、今の自分の一歩一歩を大事に確認しながら、進んでいくことができています。ゆっくり。この一歩が充実していて、今を生きているな。。という感じです。昨日頂いたメールで、たくさん褒めて下さって、とても嬉しかったです。うれしさで舞い上がってしまいそうな自分がいましたが、笑顔で嬉しい気持ちを感じながら、今の自分をまた改めて見ることができました。いいきっかけになりました。それが、今までは、褒められるとすぐに舞い上がって、期待に答えようとする自分が湧き出てきて、(人にすごいなって思われたいとか、人の目から見える理想の自分だったんですね。)人からよく思われたい気持ちは、誰でも多少はあるかもしれないけど、私の場合「そればっかり」になってしまう自分がいました。そのことに気づいた時の対処法も厳しくて、『こんなことを思っている自分がいる・・そんなん思っとったらあかんやん。もっとこうせな、ああせな・・』って、そういう部分を否定して罰して、(そういう部分もある自分)を受け入れない自分がいました。でも今は褒められると、『褒められて嬉しいな。嬉しくて舞い上がってる自分がいるやん。そんな自分・・けなげで、おもしろいな、かわいいな。こんなとこ笑えるな。嬉しさのあまり、また期待されてると幻想して、またその幻想に答えようと、人の目から見える理想の自分を演じようとする自分が、今ちょっと顔を出したね。ちょっと待ってね。色んな人がたくさんいるのに、いつもその時その時人の目から見える自分で動いてしまうなんて、目が疲れてしょうがないよね。私には自分の目があるんや。2つもあるんや。この自分の目に映るものを見ていこう。幻想ではなく、ありのままの自分を出して褒めて下さった。人の目にどう映るかを気にして理想の自分を演じたところで、例え褒められたとしても、それは私の仮面を褒めてもらってるだけで、私じゃない。それで喜んでいる自分も幻想。現実を生きよう。今を生きよう。私は今生きてるんやから。だから、これからもありのまま、そのままでいこう。ありのまま、そのまま、自然体が一番綺麗でいいんや。。』と、今は、そんな自分もいるけど、そんなことを思う自分を認めて、全部受け入れて優しく対処できる自分を、あらためて感じることができました。自分のことも一歩さがって見ることが出来、視野が広がって、その結果自分を見て笑える自分。。これが余裕が生まれるということなんですね。心がホッと和みます。ガツガツしてない自分がいて、そのままでいられます。「捨てる」ということの深い意味、大切さを改めて感じます。
■ブログに載せて下さった自分の言葉を読んで、また客観的に見ることができ、内容とかは別として、自分が思ったことをそのまま、素直に書いた言葉を見て、ありのまま。そのまま。自然体が何より素敵なんだなと改めて思いました。これも一歩さがって見ることの素晴らしさですね。一歩さがらなかったら、内容が気になったり、細かいことばかり気になってしまって、一番大事なことが見えていなかったかもしれません。一歩さがったからこそ、視野が広がって、「ありのまま、そのまま、自然体が何より素敵なんだ」という景色が見えた。そこにまた余裕がうまれた。。感謝です。理香さん、大切なことに気づかせて下さって本当にありがとうございます。
■誰とも繋がりを持たずに、1人で色んなことを考えていたことが、一歩踏み出して理香さんにメールさせて頂いたことで、たくさんの大切なことに気づかせてもらえて・・人に繋げてもらって・・そこでまた勇気をもらえて・・人との繋がりの中に参加して、交わっていっているようで嬉しくて、分かち合い、支え合いながら生きてることを、実感することができて、喜びが増して嬉しいです。過食になる考え方の癖のある自分の中の思考だけで留まって、留まりすぎてよどんでいく水が、一歩の勇気で流れ出して、そこに過食が治る考え方、新しい水が入ってきて、循環していくみたいで、少しずつ、少しずつどんどんキレイなお水になっていくような感じです。ゆっくり。ゆっくり。一歩。一歩。人との繋がり、出会いに感謝です。今までは、目標を持つということが、将来はこうなりたいとか、明日、明後日・・何ヵ月後か先に、こういう自分になる為に今○○するとか、手が届くかどうかわからないような先のことや、明日・・何ヶ月か先の自分の為に、今することを考えていた自分がいました。今を生きていなかったんですね。いつかの自分の為ばかりに目がいってしまって、今を生きていなかったから、大事な今が充実せずに、ただ淡々と過ごしてしまっていた自分がいました。そうしているうちに、途中で「私は何のためにこれしてるんやろぅ?」となんか空虚な自分が出てきていました。その時は色鉛筆の影を見て過ごしていたような感じです。色鉛筆の影を見ていたので、毎日毎日同じ黒い鉛筆のような日々で、毎日それがたまっていくばっかりで、空虚で面白くない感じでした。大きい目標を持つことも大事なことかもしれないけど、理香さんに出会えてからは、いつかの自分の為よりも、「今の自分の為に、今できることを考えて、今実行すること」そのものを目標に思うことができて、すごく楽になれました。今自分にできることを考えて、今実行できることだから、すぐに目標が達成できるので、「今の自分にできること、今日できたね」って自分を褒められることが増えました。褒めることができるので、その日その日が満たされるような気持ちでいられ、感謝の気持ちも出てきて、心に余裕が生まれて、また新しいことを発見でき たり。。自分にできることを達成しながら、一歩一歩前に進める感じが心地いいです。
■理香さんがいてくださって本当によかったです。メールを出せることがありがたくて嬉しいです。特にこんな時・・ 調子のいい日が続いていたので、いい子を演じようとする自分がフッと顔を出して、言いたくない気持ちが正直、少し浮かびましたが、理香さんにはこれからも、ありのまま、そのままを話しながら、今、その時、その時の今の現実の自分を認め、一歩一歩前に進みたいです。それも、昨日の色鉛筆が茶色と黒色と灰色の鉛筆がいっぺんに集まった日だったんです。色とりどりです。。
茶色・・灰色・・までは@茶色→親との会話で「違い」なんだということで気づき→「次こういう時にはこうすればいいな。」解決→「お風呂に入って気分転換」スッキリ。。
@灰色→親に「期待」した自分に気づき→「次こういう時はこうすればいいな。」解決→「寝て気分転換」スッキリ。。
のですが、@黒色で過食しました。。
ゆっくりゆっくり食べながら、味わってもいて、美味しいなぁとも思いながら、なんというか、冷静で、脳に栄養を送っているようにも見えるような、ゆっくりと、何が自分の中にあるのか、食べながら色々と考えている状態でした。ヤバイとか、アカンとか、あぁどうしよう・・とか、焦る気持ちとかはなくて、正直少しは「あぁまた食べてる」という気持ちはあったのですが、食べていることよりも、食べることになった重要なことを考えていました。
その時自分ができなかったこと・・
@1つ目の茶色で、自分の気持ちがわかっておきながら、またそれを聞いてあげずに、相手に合わせようとして、「お前は引っこんどけ」と言わんばかりに自分を無視して、押し殺してしまった自分がいました。
@2つめの灰色で、嬉しいことがあった時、自分が嬉しくて、自分が自分を褒めてあげればそれでいいのに、父も喜んでくれると「期待」してしまった自分がいました。それだけだったらまだよかったかもしれないけど、自分の場合は、その「期待」の中に、親に喜んでもらうことで「受け入れてもらおう」とする「幼かった時の願望を満たそう」とする気持ちが 含まれていたことに問題があって、その幼かった頃の願望が顔を出し、 聞いて聞いてと言わんばかりに「褒めてもらおう」とする幼い気持ちがブワァ~と溢れ出して、暴走しはじめてしまったこと。でもこのことで少しの進歩にも気づけました。前だったら、父に話した後に気づいたり、その時の自分の内面に含まれている気持ちに気づかずに、後で嫌な気持ちになったりしていたのですが、今は父に話す前までの、早い段階でその気持ちに気がついて、もっと奥に隠れている自分の気持ちにも気づけて、途中で父に話す前に、その自分をグイッと引き止める自分がいました。まだこういう状態で、気持ちが走り出す・・まで行ってしまうのですが、これからゆっくり、走り出す前に気づける状態になりたいです。
幼い頃に満たされなかった願望は自分が満たす。満たしてもらう、「してもらう」という「期待」を捨てること。心にしっかり「私がそれをしてあげるんだ」と強く思いました。
@そして最後に黒色で、人の言動に流されて、誘惑に負けてしまった自分の弱さがありました。誰のせいでもなく、誘惑した相手の言動が原因ではなく、自分が負けた自分自身が問題です。と全て親がらみなのですが。。
最後に3つのことが押し寄せてきて、それに気づいて、気づけたものの、それができなかった悔しさと自分の中の自分に対して、自分にされて悲しかったのも自分だけど、自分にしたのも自分で、幼い自分のそんな気持ちにも気づいて、複雑な気持ちが入り混じって、いっぱい泣いたけど、その時、その時、過食をした時や嫌な気持ちがした時、自分が伝えようとしていることから目を背けないで、自分の心にしっかり目を向けて考えて、変えていきたいです。
昨日の過食で、今までになかった新しい気持ちがあった自分、パターン、こういう時にこう自分が出てきやすい。。いろいろ気づけました。これが次に生かせるチャンスで、これがあるからこそ、また一歩進めるんだと思いました。こういう時に過食が出るのがわかっているんだったら、それをしないと。でもそうするには「捨てる」勇気もいる・・みたいな感じです。捨てるのもは、まだ他に色々あるかもしれませんが、またひとつ「捨てる」ことを一番強く思えた日でした。人に対してもそうですが、特に親に対する「期待」を想像以上に根強く持っている自分に気づけた日です。
収穫が多かったですが、やっぱり自分を隠そうとしたり無視してしまうと自分の中の自分は、本当に正直で、オィっ、無視するなーヽ(`Д´)ノ!!」って訴えてきます。理香さん、私はじめて気づいたのですが、過食した時にでも自分を褒めることってできるんですね。過食した時は全部「ダメ」みたいに思ってたけど、昨日はいっぱい考えて、いっぱい気づいて、前の自分と今の自分で進歩しているところにも目を向けて見ることができて、その部分はその部分で褒めることもできて、よくやってる。。と思えました。一歩さがることで気づけたことです。過食してる日に褒められる自分。心広いやん。。なんてひそかに思ったりして。。「一歩さがる」ことで見える景色。「捨てる」ことで変わること。理香さんが、たくさんの大事な大事なキーワードを教えてくださったおかげで過食している日でも、色んなことに気づけて褒められる自分がいます。これからも、ゆっくり、ゆっくり、進んでいきます。
■過食した自分、意味のある過食、ありのまま、そのまま、過食をしても、まるごと受け入れてくださる理香さんに、本当に感謝しています。過食したことも、全てまるごとゴッツリ受け入れて下さる理香さんのメールを読んで、その力を頂けたような、背中を見るような感じで、私も自分で自分自身を、自分の全てまるごと受け入れる力、大人のほうの自分の力が、強くなっていくように感じました。
今、すごく爽やかな気分です。今必要だった。なぜ必要だったかも考えました。おとといの過食で、こんなことが前と違うなぁとか、成長してる部分も見たりもしました。過食して今までマイナス面にばかりとらわれていたのが、グッと、プラス面に目を向けている自分がいたこと。過食しなかった日が1ヶ月続いていたのですが、いつもは日数にとらわれたり、それにこだわって、こんなに続いているから、過食したら嫌やな・・とか、そのことで感情が振り回されることが多い自分がいましたが、理香さんとの面談の後、過食がない日数にこだわったり、そういうことに感情が振り回されることがなく、楽な気持ちがあってその1ヶ月間、1日1日を大事にしていたこと。(いつの間にか1ヶ月経っているな・・という感じでした)だから今も、今日1日、今が大事に思えて、過食の時の感情に振り回されていないこと。
■親に対する「期待」を捨てられなかった理由、その期待の中に、幼い頃にしてほしかった願望を満たしてもらおうとする(裏)の幼い気持ちがあることがわかって、自分の中で、『それを満たしてあげられるのは、自分にしかできないことで、自分以外の人にできることではないんだ。誰もしてくれない。だからその願望を、親や誰かに満たしてもらうではなく、自分が自分に。例え親や自分以外の人がしてくれたとしても、もっともっとと、きりがなくなる。力をもらってその力で自分が自分にすることは可能やけど、満たしてもらうという願望は不可能なことなんよ。だからこれは自分にしかできない。してもらうのではなく、「自分が自分にすること。」』とハッキリ整理できて、大人の自分が子供の自分に、またしっかりと教えてあげたような感じで、その時にもぅその「裏のある期待」を捨てることができた状態になったみたいに、スッキリしました。小さい子供が、紙でできた使えないおもちゃのお金を持って、「わぁ~ぃ♪」と、お店に行くことを繰り返していたような感じです。「これは持っていても使えないんだ。」ということがハッキリわかった自分がいます。
こないだ親と食事をしている時に、「これ食べるか?」「あんまり食べてへんのんちゃう?」「これ食べよ」と、食べることに関して色々言われて、食事のことで管理されるような、いちいちうるさいなぁ・・ぐらいで済むようなことを、必要以上に嫌な気持ちがして、攻撃心が生まれてしまうのが、自分の間違った「期待」が関係していることに気づきました。親の「期待」に答えようとする幼い自分がいるから、必要以上に相手に対して攻撃心が生まれるんや。。って、自分の中で整理できて、その時にもぅ期待されていると「幻想した期待」をもう捨てられた状態のようになって、スッキリして(次そういう時があった時に自分がどう思うかで、まだよくわかりませんが)このことで、「自分は自分でいいんだ。」と強く思えました。
■過食が「自分のかわり」にしてくれていたことや、親や、自分以外の人に、「してもらおう」としていたことを、「自分がしていく」ことで、過食がなくなるんやなぁ・・と強く思えたこと。
だから今回の過食で、さらに大人の自分がしっかりと、相手に委ねて渡していきがちな自分の力を、自分にしっかり取り戻すような、しっかりと自分が自分の力を握ろうとしたような、自分が主役という感覚というか、なんというか、「ヨシっ。私は私、私は自由なんや。これは私の問題で、私のものやし、全て自分にかかっていて、自分が選んでいるし、それを選んだ責任も自分にある。」みたいな感じで、言葉で書くとえらい力が入っているようでしんどそうやけど、その自分が主役が、自分のペースで自分が自由に、操縦できるような心地よく自由で穏やかな感じがしています。
理香さんいつもありがとうございます。こうやって書くことでまた自由になれて、「私は私」と思える感じです。ゆっくり、ゆっくり、同じことでも何回も何回も教えながら、自分を成長させていきたいです。
■今日はすご~くいい天気で、風がとても気持ちよかったです♪洗濯物がカラッと乾いて、太陽のいい香りがしました。とってもいい天気でしたが、今日は家で洗濯したり掃除したり、作り置きしておける料理を作ったりして、本を読んだりしながら、ゆっくりと過ごしました。 昔は本を読むことは興味がなかったのですが、種類によって、こんなにすいすい楽しめることを発見して、今は本を読むことが、自分の好きなことになりました。 今、自分の音というのが持ててきているような感じがします。 ピアノの鍵盤でいうと、自分がどの音にいるのか、いていいのか、わからなかったような感じでした。人に合わせて高いドの音になったり、低いレの音になってみたり、自分の音がなくて、どこか他のところへ行けばあるかもしれないと、別のところで求めようとしたりもしていました。でもどこに行っても、自分の心地よい居場所というのが見つかりませんでした。 自分の心地よい居場所を、自分で作って、自分自身が心地よい居場所になることで、今はしっかりと、自分の音を、自分で弾いているような感じです。 理香さんがおっしゃって下さった>自分で動く、自分が動く、自分が心地よさを感じること(音)を、自分が行動して、1つ1つ探していくことで、それが集まって、自分の和音。心地よい和音ができています。これが「自分」そのまんまの。自然体の自分なんですね。 自分の調和のとれた音があって、リズムがあってペースがある。自分の枠がしっかり出来上がってきたみたいです。 ルームでお話した時の、自分の価値観の枠と、守りの枠の話を思い出しました。 この「自分」を作るまでの型枠のようだった、自分を守る枠組みが中の自分がしっかり固まって、できてきたことで、守る型枠からパカッと外れて、プッチンプリンのように出てきたみたいです(笑しっかり固まって、美味しく仕上がってます♪これに好きなフルーツや生クリーム、色んなデコレーションをして自分らしさを表現していきたいです♪ 理香さんが話して下さったたくさんのお話が、自分の中でどんどん一致していく感じです。
■いつも理香さんからのお返事を読むたびに、新しい気づきと感動があって、ビタミンC~を摂ったみたいに、心が爽やかになります♪ 特にここ最近、自分の体や、色んなものに対して、「ありがとう」と、よく言うようになりました。 家に誰もいなくても、外に出る時や帰ってきた時に、「行ってきま~す」「ただいま~」「留守番ありがとうね。」と言ったり、部屋の掃除をする時や、トイレ掃除の時も、いつも流してくれて、ありがとう♪と言ったり、お風呂で体を洗う時も、今日はよく動いてくれてありがとうね。と声をかけながら洗ったり、自分が普段使っているたくさんの物に、「ありがとう」って声をかけることで、家にある、色んな物達が、いっぱい笑顔を向けてくれているような感じがし ます。 あたりまえのように使っている物でも、ありがとう。と感謝の気持ちを持つことで、たくさんの笑顔が返ってきて、まるで私の家に、にこにこ笑顔な人達が、たくさん集まってきてくれたようで、パッと明るく賑やかな雰囲気になっています。 その雰囲気の中で生活していると、より心が満たされて、またありがたい気持ちになりますね。自分の体や、自分の身の周りのもの、みんなが見守っていてくれるような感じがして、それが自分の力、支えにもなってくれて、とても心強くなっています。
■過食がない日が続いていますが、例えこの先、過食したくなった時があっても、それはそれでOK☆と、大きく思えている自分がいます。その時はその時で、そのことによって、まだ自分が気づけていない、何かに気づけるチャンスで、その過程をじっくり味わいたいと思っている自分がいて、そのことで、自分が成長できるのなら、何でも受けて立ちまっせ~の楽な気持ちでいられています。 過食するその過程で気づける素晴らしいことがあるのなら、いつでもどうぞ。という広い心でいることができていて、その壁にぶち当たることを、恐れていないような自分がいます。 寄り道もOK、休んでもOK、何でもOKで、自分が成長できるために、乗り越える壁があることは、幸せなことなんやなって思えて、今、自分が成長していく、その過程が楽しみになって、その楽しみが、行動に繋がっています。 壁を、避けよう避けようとしていた自分が、その時、その時、壁を越えた先にある、素晴らしい感動を体験していく中で、越えること自体が楽しみになっていて、山に登りたい人の気持ちがわかるような感じがしました。 でも無理に壁を探してまでぶち当たって行くのでもなくて、ゆっくり、ゆっくり、自然体で過ごしていく中で、自分が感じることを大切にして、嫌なことは嫌、いいなと思ったことはいいなって、自分の心の声、そのまま、進んでいく中での、色んなことを、自分が成長できるための宝物として受け取っていきたいです。 前の自分はちょっと元気になってきたら、それを人に見せるかのように、行動しまくって、まるで嵐の海のような自分でしたが、でも今はそれが全く違っています。人に見せる為ではなく、自分が喜ぶことを見つけて、自分の為に行動していて、そこに無理がなく、自然体で心地よいので、穏やかに流れている川のような感じです。 「そぉら行け行けぇ~!」ではなくて、「行ってみたいな♪行ってみようかな♪」自分のペースで、自分のリズムで、自分が主になって、自分が好きなものを選んで、ゆっくり行動できているような感じで、大好きなケーキを、ゆっくり選んでいるのと同じような感じで、自分がニコニコ、穏やかです。 理香さんがおっしゃって下さったように、いい感情もマイナスの感情も、全てが素晴らしい自分の感情。あぁ今しんどいな、怒ってるな、そういう感情もただ感じるだけで、その先また新しい気づきに繋がっていくんですね。そのまま。なんですね。ありのまま。それが自分。人間って素晴らしいなって思いました。 自然体で、ゆっくり、そのまんま・・何度も言って下さって、本当に、ありがとうございます。
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プロフィール
HN:
岡本理香
年齢:
60
性別:
女性
誕生日:
1963/07/29
職業:
精神作家・正看護師
趣味:
整理整頓
自己紹介:
岡本理香
精神作家&看護師&心ざわざわ理事長
1963.7.29生、AB型
大阪出身、現在神戸六甲山に在住、有馬温泉傍
整理整頓・ジクソーパズル・捨てることが特技
田原俊彦さんのライブ鑑賞が生きがい
向日葵・マリリンモンロー・真っ赤が好き
高嶺の花を羨むより、足元の豆を拾えが口癖
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