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今をコツコツ在ることが、生きる、いや生かされている自分なのです。 あるがままの自分が「今、丁寧に、在る」。 そのままの自分を、そのままの自分が「知り得た」時、 これが求めていた答えだと納得しました。 有難く存じます。すべてのご縁に感謝を致します。
2024.04.29 Monday
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2008.06.29 Sunday
「一人で抱え込まないで」
 摂食障害は、神経性食欲不振症や神経性過食症などに分類されていますが、私は、摂食の障害だとは、思っていないところがあります。それぞれのパーソナリティの何らかの歪みがあり、それが行動として表れていると考えています。パーソナリティ、つまり人格とは、WHOでは「その人の思考、感情あるいは行動の根底にある一定したパターン」と定義されています。
摂食障害を語る上で、パーソナリティ障害の理解は大切ですが、DSM‐Ⅳの診断基準挙げられているものだけで、10のタイプが記載されています。それぞれの特徴は重なるものもあり、大きく捉えて、自分に拘りを強く持っており、傷つきやすく、対人関係を上手く築けない性格と言えると思います。よく言われます生きづらさを抱えて、愛や信頼に執着をしながら、自分自身はもちろん周囲の人々をも振り回してしまう行動を取るのです。
私は、1980年代に精神科の思春期の病棟に4年間勤務しました。ボーダーラインの患者さんたちに、私自身が消耗し、摂食障害の専門書に感化されて、摂食障害を発症しました。幼少時のトラウマを抱えており、元々パーソナリティ障害を持っていたのでしょうが・・・。
現在、メディアが発達、インターネット上にも、いろいろな情報が氾濫しています。私の経験上、それらの情報に感化されてしまうと、すべて自分のことだと思ってしまったり、原因はこれだと決め付けてしまったりと、益々自分自身を複雑にしてしまいます。自己診断ほど危険なことはありません。偏りのある行動が目立って、ご家族や周囲の方が気になる場合もあるでしょう。どのような場合でも、すべてを一人で抱え込まないで、なるだけ早く身近な方や専門家に相談をしていただきたいと思います。
摂食障害もパーソナリティ障害も、自立すなわち大人になるための内乱のような気がします。私自身も内乱の時期が長かったのですが、バランスがとれた生き方を知るための時期だったと、今は思っています。これらは、私の人生の教科書だったと感じます。
著書「死んだら、アカン」より抜粋

参考資料(講習会専用)
http://www.eonet.ne.jp/~kokorozawazawa/30.htm
http://www.eonet.ne.jp/~kokorozawazawa/28.htm
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2008.06.29 Sunday
体型や過食という目に見える症状に振り回される本人と周囲の方々。
幼少時からのいい子で頑張り屋さんは、辛いのです。
我慢して、感情を抑えて、周囲の顔色を伺って、それを伺っていないように見せて、いいえ、自分でも我慢しているってことに気が付いていないのです。
結果、いつかは無理がきます。
本当の気持ちが分るのは、本人だけ、いや回復することで理解ができるのです。
現在、この症状に苦しむ方も自分が分らない、益して周囲の方々には理解しがたいものなのです。
その辺りは、心に留めておいてください。
精神的にまだまだ子供なのです。
失敗は許されない、怖いのです。
叱られると、もう人生が終わってしまうのです。
今は、愛情が欲しいのです。甘えたいのです。
抱きしめてあげてほしいのです。
寂しいんだね、辛いね、とそれだけでいいんです。
できるだけ話を「聴く」時間を設けてください。
「指示はしない」ただ「うん、うん。そうだね」と、聴いてください。
どーんと構えて、受け止めてあげてください。
2008.06.28 Saturday
適切な専門医や経験豊富なセラピストの治療や心のケアを受け、ご家族や周囲の方の何らかの協力を得ることができたならば、そして、それぞれのパーソナリティ・スタイルを築き、円熟な大人になることで、必ず回復します。
ご本人さんもですが、ご家族の方も、一人で抱え込まないでほしい、頼ってもいいんです。視野を広げることと余裕を持つことが、何よりも大切だと思います。



あなたへ贈るメッセージ

今、この瞬間を、今、大事にすること。
今、できることを、今、始めること。
今、できたことを、今、褒めること。
今、感じたことを、今、言葉にすること。
今、目の前の自分を、今、知ること。
そう、今、そのままを、今、受け入れること。
あなたって、本当に素晴らしいのですもの。

2008.06.28 Saturday
心の中は、ざわざわと、いつもいろんな感情が渦巻いていて当然。

どんな感情の自分がいてもいいんだ。

そのまま、そういう感情を抱いた自分を知っていき、自分を丸ごとわかっていこう。



さあ、今感じるままに、あなたの言葉を素直に出してみましょう。
遠慮はなし、良い子もなし。
その中で、素敵なことがあったと気付くでしょう。
摂食障害を抱える方々の繊細で感情が豊かな言葉は、本当に素晴らしいのです。
そして、皆様の存在は、とても素晴らしいのです。かつて私を支え続けてくれた大きな存在、愛が溢れる存在からもらったたくさんの言葉を、今度は皆さんに贈りたいと思います。
愛は信頼を根付かせてくれます。
信じるという大切さを教えてくれます。

「死んだら、アカン」より抜粋
2008.06.28 Saturday
7月29日正午、太陽が力いっぱい照りつける快晴の日。
母親は、丸々した我が子の誕生に「ひまわり」と名づけた。
庭で、大きなひまわりが咲いていた。

すくすく育ち、6歳の誕生日、母親は、やはり「ひまわり」がぴったりくると呟いた。
大人への階段を上る17歳、自己主張の強い黄色が似合う「ひまわり」は、
大地を求めて、太陽を求めて、旅立とうとしていた。

「ひまわり」は、知っていた。
大地に根を張り、太陽の光を浴びないと、いつまでも花が開かないことを。

「25歳になれた夏、26歳に向かって始まる。苦悩の日々を生きるひまわりへ」
大好きな先輩にもらったひまわりの写真とメッセージ。
「え?」
蕾のまま、空ばかりを見つめて、30歳の手に届かぬ太陽を掴もうとしていた。
庭で大きなひまわりが咲いていた。

「あんたの誕生日に、雨が降ったん、初めてやわ」と微笑む母親。
「え?」
33歳、晴れの日も雨の日も、変わらぬ拡がる大地の存在を初めて見つめた。
大地に根を張り、大空を高く飛ぶ。ひまわりは、わかった。
「ひまわり」は「ひまわり」であることが。
そして、穏やかに、堂々と、44歳のひまわりは微笑んだ。
庭で咲く大きなひまわりに、微笑んだ。
2008.06.27 Friday
安心感。
一言でいうと、安心感をもらいました。

信じていい人だと感じていたんですね。

死にたいという気持ちは、今でも覚えていますが、主治医が「死んだら、アカン」と言ってくれたときの瞳の深さに、死ぬ選択をはずしてくれたというか、「先生にまた逢える」という気持ちが私の中で、芽生えたんだと思います。
同時に、死ぬことを諦めたけれど、生きることを諦めなかった自分が生まれたんです。

主治医と出会って20年がたち、今振り返ると、訪問看護の仕事や執筆の仕事で、社会にでて、生きづらいとか怖いとかで逃げていたのは自分だったとわかりましたね。

大人になるのは、頭ではなく、体でいろいろな体験をしていくことだと、人とのかかわりの中で、頭も下げたり、できない自分を認めたりしていくことだと、知っていきました。
怖がって何もしようとしなかった自分にも気づきましたね。

こけて泣いて、痛い思いをしても、主治医という存在があったからこそ、大丈夫だ、自分でやってみようと思うようになったことが回復へ道でしたね。

どうしようもない子供の私を、何も言わず、辛抱強く、見守ることで、育ててくれたんだと、感謝の一言につきます。

成長を拒んでいた私を、0歳児から育てて、親子の関係って、信頼という愛が根底にあるんだよって、教えてくれたんですね。
いつも、そのままでいいよって言ってもらっていたんですよ。

このままで生きていいんだって、ありのままの自分を、自分が信じてあげることが、でき始めたんですね。
自分を信じるのが自信ですものね。

世間から外れていたり、自分が普通でないと思うことなく、このままでいいんだと思うようになりましたね。
堂々と自分の感情を抱いてもいいんだなって。
気が付くと、摂食障害を手放していたんですよ。

2008.06.27 Friday
主治医との出会いは、本当に大きな出来事でしたね。

摂食障害は、数回診察をうけて、薬をのんで、治る病気ではありません。

自分と向き合う機会を与えてもらうのですから、当然、過食嘔吐はエスカレートします。
現実をみるわけですから、辛さは益々大きくなるんですね。

現実からの逃げ場に、過食を利用しているのです。
必要な時期でもあるんです。
逃げてもいいんですよね。

過食嘔吐などで自分の体を痛め続けて、夜勤のあるハードな看護師の仕事も、いっぱいいっぱいでしたが、職場での責任のある立場に耐えられないという未熟さも、どんどん自分で分かって、益々辛かったですね。
それも大人になる過程のひとつだと、今になればわかりますが、思春期の心の葛藤というか、自分の心が安定していないのが、また不安となり、そのときは、自分が混乱という言葉がぴったりですね。

その中で、主治医の下には欠かさずに通いました。
主治医の前では、堂々と子供になって、そのままの自分を出してもいいんだと思いはじめていたんだと思います。
いつも大きく温かく包み込んでくれる場所だったんですね。

過食の話や体重の話は、ほとんどしなかったんですよ。

摂食障害の岡本理香ではなく、岡本理香という一人の人間と向き合ってくれたんだと思っています。
2008.06.27 Friday
依存と攻撃と同じように、過食に相反する感情が、向いていますね。
堂々巡りにはまってしまうと、抜けたいような抜けたくないような。
自分に過食が必要なことを分かっているし、いろいろな面で継続するのは困難だとも分かっているし、理解までいかなくても分かるから、困る。

でも、やめたいという気持ちが勝っているようにも、私は感じました。
その気持ちは、経済や健康のことだけでなく、精神的な部分も大きいと感じています。

やめるぞ!宣言しても、もしものときのことも考えるし、もしもを考えるのならば、完治もしくは軽減した自分の姿を考えるとか。
それは同時に、自立と自律でしょうね。

私は私。この感覚で生きることは重要だと思います。
2008.06.27 Friday
自分と向き合うには、まず自分という人間の土台作りが必要です。
しんどい作業にも揺るがないもの。
これは日常の生活からだと思います。
感情優先の私達、ここを行動できる自分を先に確保してしまうことで、向き合う辛い作業へのストレスが半減します。

自分のいいところは、そのままで、柔らかい枠作りをしていきたいですね。

どうぞ、焦らずに一歩一歩と進んでくださいね。
のんびりと。
2008.06.27 Friday
「ひとつでもいやなことがあると、全部消してしまいたい。グレーの部分ができない」
経験が少ないんですよ。
世間にもまれて、体得していくことです。
失敗して、大きくなる。
今日も、やるべきことは、きちんとやっていく。
こんなもんか、まっいいかな・・・人は人だし。
ゆっくりわかってきますよ。
グレーの生き方。焦らずにね。
2008.06.26 Thursday
「先生、私、寂しい」
 
フッと言葉が出る。始めて口にした言葉。主治医のところへ通い始め数回目の診察時間。
言葉と同時に素直に涙が溢れる。
私には衝撃的な瞬間。
泣いている。この私が。

今までにない感情だった。
そこへ行けばいつもいてくれる、どんな時も変わらない大きな器がある。

死にたいと重く閉ざされた言葉は出しても、いつも大きく温かく頷いてくれる。
そう、打てば響く存在がある。
言葉を素直に出すと、言葉ごと丸ごとその中に吸収されていき、そして、私の心に響く何かを贈ってくれている。
何かはまだわからなかったが、主治医を信じ始めていたのであろう。
そう、主治医との関わりの中で信じるという感覚が、私の中で育ってきたのであった。信じることを知ったのである。

人という存在のぬくもりを感じながら、安心するという居場所を見つけたのである。

「死んだら、アカン」より抜粋
2008.06.25 Wednesday

8月10日(日)11時から13時までの摂食障害の講習会(参加費5,000円)にご参加くださる方と、講習会後、場所を変えてお茶会(お茶代のみ自費)をします。


夏休みを兼ねて、遠方からのお越しの方のご予約もいただいており、真夏の大阪で、涼しい場所を探して、リラックスしながら、岡本理香を囲んで、お喋りをしませんか?

人数に枠がございますので、ご希望の方はお早めにお申込みくださいね。


講習会場所、大阪府茨木市舟木町15-17 Prefere202 
072(633)0212 090(6245)6777 
カウンセリングサークルワイズ内
阪急京都線茨木駅北改札東口南へ5分
申込 http://counseling-ys.com/yomi-mailer/eating-disorder.html


○アンケート募集
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P23838536



○摂食障害専門相談NPO法人心ざわざわ岡本理香
http://kokorozawazawa.org

2008.06.24 Tuesday
当時の私は自分の感情を持っていませんでした。
嬉しいとか悲しいとか、泣くことも許されないというか、感情を抑え切っていたと思います。
抑えすぎて、なくなった状態だったんですね。

嫌われないように、必死で表情もなく、ただ痩せて痩せて、痩せることで、注目を浴びたかった思いもありましたね。

恵まれたことに、職場の先輩に受診を勧められて、自分でも、生きづらく、誰かに頼りたかったこともあり、主治医のもとに通院しはじめたんです。
2008.06.24 Tuesday
食に振り回されて疲れたというのもありましたが、とにかく寂しいんです。
生きているのが寂しいんです。
世間にはまらない感性の自分を信じていないので、信じるということが何もできない毎日で、生き辛く、疲れきっていましたし、死ぬことで、自分に注目が集まるような気もしていたと思います。
消えてなくなりたいんです。
その寂しさを満たすために、食べて食べて食べ続けて、それでも満足感も満腹感もわからなかったんですね。
やせることにも執着していましたので、吐き続けて、下剤を使って、あらゆる努力をしていましたね。
今考えると、かなり体を痛め続けましたね。

普通に生きたいと思っても、食だけでなく、考え方や感じ方が、何か人とは違うんです。
普通って、私にとって、普通ではないんです。

私は、摂食障害ということは、親にも友人にも言わないで生きてきました。
やせ過ぎの人という感じだったでしょう。

専門の病院で看護師としても働いていましたので、知識だけは十分備えていましたし、食べ吐きのわがままな病気、我慢ができない意志の弱い人、お天気屋さんで、問題行動ばかり起こす人、そして、食べるものがない国もあるのに、贅沢な病気と思われるのも辛いんですね。
何が辛いって、食べるコントロールを失ったこともそうですが、世間に隠れるような生き方をしなければならないのが辛くてたまりませんでしたね。
この衝動がいつまで続くのかと、不安でたまりませんでした。
出口のないトンネルのような感じでした。

幼少時に、納得するまでの安心感を得ることができなかったので、年齢を重ねても、自分の土台がなく、いつも見捨てられるという不安があり、「いい子を演じなければならなかった」んですね。

本当の自分というか、本来感じるままの自分を殺して、ロボットのような感覚で、生きていたんですね。

抑えが効かなくなると、爆発しますので、コントロールできない衝動を、食にぶつけて誤魔化していたんですね。
摂食障害は、自分で自分をコントロールできない、それも感情が、毎日ジェットコースターに乗っている状態ですので、体も心も頭も、疲れきって、どうしようもない追い詰められた状態になるんですね。

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プロフィール
HN:
岡本理香
年齢:
60
性別:
女性
誕生日:
1963/07/29
職業:
精神作家・正看護師
趣味:
整理整頓
自己紹介:
岡本理香
精神作家&看護師&心ざわざわ理事長
1963.7.29生、AB型
大阪出身、現在神戸六甲山に在住、有馬温泉傍
整理整頓・ジクソーパズル・捨てることが特技
田原俊彦さんのライブ鑑賞が生きがい
向日葵・マリリンモンロー・真っ赤が好き
高嶺の花を羨むより、足元の豆を拾えが口癖
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